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【第三回】宝石屋 神山さん 前編【La Vitaプロジェクト】

初めまして!

木原ゼミのショーンです。

今回は私の地元である三重県へ単身インタビューに行ってきましたよ!

 

※これを書いている今は11月ですがインタビューは9月13日に行われたものです

 

珍しい宝石屋さん

 ちょうど1年前、私は三重県にある母校の同窓会に行ってきた。京都で一人暮らしをすると言っているのに、なぜか担任からお願いされクラスの代表になってしまった。難儀である。ともかく、私はそこで一人の宝石屋さんと出会った。宝石屋さんの名前は神山幸久さん。私を除けば唯一の若者であった。そんな場所へ渾身のハイカラな服装で赴いた私はさぞ滑稽に映ったのか、終わった後に声をかけてくださった。その日は名刺をいただき、簡単な挨拶のあと別れた。それから一年が経ち…私は今-RIN輪工房-の前に一人で立っている。単身インタビューなんて大丈夫だろうか…。

宝石屋さんの始まり

友田:まずは神山さんの人柄を掘り下げていきたいというか、ユニークな人柄というか…外交的ですよね。

神山人見知りはゼロです

友田:プロフィールの写真なんかも…(ぜひご検索ください)

神山:そうそう(笑)英語なんか中学生レベルやけども外国人みたら行ってまうねん。だから外国人にも人見知りゼロです。

友田:素晴らしいですねぇ

神山:人が好きなんやねぇ

友田:で、先ほども言ったのですが宝石商は珍しいというか、正直なり方がわからなくて…。

それで経歴の方を見せていただいたところ高校を卒業された後、ジュエリースクール…?

神山:宝石の専門学校ね。

友田:はい、行かれたということで…以前から宝石に興味があってその学校を選ばれたのかなぁと。そのルーツというか、なぜ宝石商になろうと思われたのかと。

神山:なるほど、僕ねぇ薄っぺらい答えしかできひんねんけど

友田神山:(笑)

神山:実は僕で4代目やねん。

!?

友田:あっ4代目… 

 

神山:そやねん。一番初めは…あそこにもあるけど、白黒写真あるやんか?あれが大正13年創業やねんか。今年で94年目。で、その当時から時計と蓄音機とか楽器も販売してた。で、2代目さんが僕のおじいちゃんやねんけど、腕時計の職人さんで。で、うちの亡くなった親父は大阪の宝石時計店の方に修行に行って。親父は昭和15年生まれやねんか。やからその高度経済成長とともに生きてきてんけど、その頃には時計も宝石もすごい人気が出てきたから、宝石に力を入れ出してん。だからおじちゃんは時計職人、そこからは親父が宝石の方に力を入れて。で、僕が生まれて高校生の時、どこに行こうってなった時に親父に三つの道があると。メガネの専門学校行くか、宝石の専門学校行くか、アメリカ行って宝石の勉強するか、この3つのうちどれかって言われて。チョイスしたのがまずメガネの専門学校。そこ二年間行って、次一年間ジャパンジュエリービジネススクールに。で、それから大阪の岸和田にある宝石屋さんで三年間修行して、25でこっちに帰ってきたという感じで。なんで宝石屋かといったら継ぐためやったわけやね。いま後継者問題って…いつの時代も言われてんねんけど。

友田:ありますね。

神山:俺が素直に継ごうて思ったのは、宝石のことなんて高校生の時興味もなかった。けど継ぐことも嫌じゃなかった。あぁ継ぐんやって普通に思ってたから…だからこのお店を後継したってのもそこですね。だから後継するには宝石の勉強もしとかないとってことでやりました。

友田:…すいません僕の下調べが甘くて、てっきり神山さんが創業されて…

神山:そうか!

友田:やってるものかと…

神山:そうじゃなくても大丈夫!?

友田:大丈夫です!

 

神山:大丈夫!?よかったよかった。