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【第八回】安斎 稔さん【La Vitaプロジェクト】

 

安斎さんは高の原にある団地の商店街で、夫婦で手作りソーセージレストランを営んでいる方だ。


店内は木製家具で揃えられ、カントリーな雰囲気の暖かな空間が演出されている。そこに熊の人形などの小物が飾られていたり、アクアリウムの水槽がいくつかあって、良い味を出している。メニューは昼と夜に分かれていてソーセージは勿論、オムライスやパスタ、カレーなどの洋食も扱っている。そうした洋食にもきちんとした仕込みがあり、冷凍食品は使わないようにしているそうだ。


インタビューでは、そんな料理人の安斎さんのキャリアを少し、話してもらった。

 


安斎 稔さん

 

1963年、東京都出身。スーパーと印刷 会社の会社員、デザイン事務所、イラ ストレーター、カレー店、ソーセージ 店、タンカーの船員といったさまざま な職を経て、32歳のときに、奈良県奈 良市で「パパ・ド・ウルス・丘の上食堂」を開く。安斎さんは20種類以上ものソーセージを手作りしており、食堂の食材は奈良のものを積極的に使っているそうだ。


 

【デザイン職〜船員を経て】

安斎さんは自分のお店を持つまでに会社員、デザイン事務所勤務、フリーのイラストレーター、カレー店の従業員、ソーセージ店の従業員、タンカーの船員といったような様々な職に就いてきた。一見するとバラバラに見える経歴だが、すべてがつながっていると、安斎さんはいう。カレー店やソーセージ店での経験はそのままお店の料理に、デザイン関連の能力は店内の装飾に生かされている。また、タンカーで働く間にお店の運転資金を貯めることもできた。このように「自分のお店を持つ」という夢を実現するために役立つもの、必要なものという点でつながっていたのだ。

 

 

【根拠のない自信のちから】

安斎さんの奥さんにも話してもらえる機会があった。

「(夫には)ハッタリていうか、根拠のない自信みたいなのがあったのよ。若い頃はなんでお金もないのにそんな大きな事言うんよって思ってたけど、言ったら言っただけのことを何かするわけよ。バイトやったら、バイト料なんか要らへんくらいに頑張ってたし、夜だけ行ってたインドカレー屋さんでも、自分が入って売り上げ4倍程伸ばしたとかね。 ……食べること、作ることに凄く熱心で、それはこの人にとっての1番の大きなものなんと違うかなと」


安斎さんは自身のキャリアを転々としながらも繋がっている」と振り返っていた。そこに目標があったのは確かだが、大きな自信と打ち込み続ける情熱があったからこそ進み続けられたのだと思う。

 

根拠のない自信はともすれば傲慢に見えるかもしれない。けれど、それは夢に向かって走り続ける原動力になる、キャリアを豊かにする要素の一つなのではないだろうか。

 

聞き手=サカエ、ショーン